2012年12月8日土曜日

人首の鳥油川に来る

明誓寺に関連して、ひとつ不思議なお話が伝えられています。
江戸後期の商人、工藤白竜が津軽の民間伝承をまとめた『津軽俗説選』という本に載っている、「人首の鳥油川に来る」というお話です。
以下、「人首の鳥油川に来る」のくだりを引用してみます。

天明八のとし油川邑照容山明誓寺の本堂へ、人の首の鳥来りて羽を休むる、僧の曰是れ国の凶瑞なりと。
山海経 西山経に有鳥焉、其状如彙人面一疋曰彙琶冬見夏蟄服之不畏雷
亦五ノ巻にも、鳥の身にして人面ノ神ある事を著し、六巻にも人面翼あり、鳥啄なるものなる事を記せり、しかれば人面の鳥あるものと見へたり、国の凶瑞也といひし寺僧いかなる書を考へしならん、たとへ凶瑞なりとも祥瑞といふて万物可なるべし。

『山海経』は中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)から秦・漢時代(紀元前3~後3世紀)頃まで書き継がれた地理書・博物書。
…のようなものなのですが、実際には地理やその土地の動植物、産物などと同列に、神仙や怪力乱神の類が紹介されているような、奇妙奇天烈摩訶不思議にしてマジックレアリズム的な、ようするによくわからない本です。
壮大なファンタジーだと思って読むとちょうどよいかと思われます。

たまたま家に平凡社ライブラリーの『山海経』があったので、『津軽俗説選』に引用されていた部分を抜き出してみましょう。

まずは西山経のくだりです。
ここでは、「橐ヒ(タクヒ、ヒは非の下に巴))」という人面鳥が書かれています。
「鳥がいる、その状は梟の如く、人面で一つの足、橐ヒという。冬にあらわれ、夏はかくれる。(その羽をつけると)雷もこわくない」
ちなみに、これがその挿絵です。


見た目は気持ち悪いけれども、西山経の説明を読む限りでは、これが現れたところで国の凶端を示すものではなさそうです。

次に出てくる五ノ巻「中山経」の鳥面人身の神は、挿絵はありませんが、説明にはこうあります。
「煇諸の山より蔓渠の山に至るまで、すべて九山、一千六百七十里、山の神はみな人面で鳥身、祀(まつり)には毛(けもの)を用いる」
これもまあ、とくに害はなさそうです。

その次の、人面で翼と鳥の喙があるものというのは、六巻「海外南経」に書かれている讙頭国という国の住人のことです。
曰く「その人となり人面で翼があり、鳥の喙、いまし魚を捕う」と。
挿絵はこれです。


ちなみに同「海外南経」には、羽民国という国に住んでいる、身体に羽の生えた人のことも記されています。


これなんか、どう見ても小心でただの気の優しそうな奴です。

『山海経』の中には、『津軽俗説選』に出てくるもののほかにも人面の鳥がいくつか出てきますが、そちらの方がよっぽど禍々しい凶鳥であり、工藤白竜がなぜわざわざたいして害のなさそうな人面鳥ばかりをピックアップしたのか、わたくしにはよくわかりません。
以下に、残りの人面鳥を掲載します。

一巻「南山経」
シュ(朱に鳥と書く):鳥がいる、その状は鴟の如くで人の手、その声は痺(未詳)のよう。その名はシュ。鳴くときはわが名をよぶ。これが現れると追放される士(ひと)がふえる。


二巻「西山経」
顒(ギョウ):鳥がいる、その状は梟の如くで人面、四つの目で耳があり、その名は顒。鳴くときはわが名をよぶ。これが現れると天下おおいに旱する。


二巻「西山経」
鳧ケイ(フケイ):鳥がいる、その状は雄鶏の如くで人面、名は鳧ケイ。鳴くときはわが名をよぶ。これが現れると戦いがおこる。


これらは追放・日照り・戦争と、いずれも凶事の先触れとして現れると記されていますが、この人面鳥の禍々しさたるや、どうでしょう。
油川にこれが出現したとも思いませんが、明誓寺の和尚さんが人面鳥は国の凶端であると言ったのは、こうしたものを念頭に置いて言ったものであるに違いありません。

しかしながら、人面獣身の化け物は、古今東西多く見受けられるものです。
わたしが幼少の頃も人面犬というものが流行り、幼心にたいへんな恐怖を感じたものですが、それはさておき、わが国で最も有名で、また小説などの題材にもされてきた人面獣身の化け物は、おそらく件(くだん)でありましょう。
件は人面牛身の化け物で、凶作や戦争などの凶事の前に現れ、さまざまな予言をして、数日で死ぬといわれています。
件は江戸時代あたりから目撃情報や噂があったようですが、第二次世界大戦の頃にもさかんに噂が立ったそうです。
社会情勢が不安定になると、都市伝説のようなオカルトが流行ったりしがちですが、件もそのようなものの一つでありましょうか。

ここで『津軽俗説選』を見てみると、油川の明誓寺の本堂へ人の首の鳥が来たのは天明八のとし(1788)とあります。
天明年間といえば、津軽の三大飢饉といわれ、津軽藩内だけで十数万人の餓死者を出したといわれている天明の飢饉があった時でした。
加えて、最も飢饉の被害が大きかったといわれる天明三年(1783)には、青森市の中心部から蜆貝町(現青柳)までを焼き尽くす大火が七月と十一月に立て続けに二度も起こり、それらに関連して打ちこわし(青森騒動)が起こるなど、とにかく大変な時代だったのであります。

このように人心が安定していない環境下にあれば、いかなる流言飛語が飛び交おうと、なんら不思議はありません。
おそらく明誓寺境内に人面の鳥が現れたというのは、たんなる噂話に過ぎないものでしょうが、それは、このお話が『津軽俗説選』という、タイトルに「俗説」とある本に載っていることに端的に表れていると思います。
なにはともあれ、「人首の鳥油川に来る」は、津軽領内で流布した古い都市伝説を記録したものとして、非常に興味深いものです。

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